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1999年9月21日台湾中部の地震 ―メモ― 

東京大学地震研究所 阿部勝征

 台湾中部で21日午前1時47分ごろ(現地時間)にM7.7の大地震が起こり,6800棟以上の建物が全壊した.震央は南投県集集鎮付近である.地震による被害は震源に近い南投県や台中県などの台湾中部に集中した.震央から約150km離れた台北市でもホテルなどが倒壊した.死者2295人,行方不明者90人,負傷者8731人,全半壊12989棟などの被害が出た(10月6日現在).26日に学生の兄弟2人が約130時間ぶりに救出された.日本政府は国連人道問題調整事務所の要請を受け,過去最大規模の国際緊急援助隊を派遣した.

 台湾では日本の旧8階級震度階から震度7を除いた7階級震度階が使われている.台湾中央気象局の調べによると,台湾各地の震度は,名間・台中で震度6,嘉義・台南・新竹・宜蘭で震度5,台北・高雄で震度4である.日本の沖縄県西表島と与那国島でも震度2が観測された.震央の西10kmの名間で強震計は最大加速度983gal,最大速度73cm/s(いずれも東西成分)を記録した.

 本震より6日目の26日に,M6.4の余震が発生し,日月潭で震度6を記録した.新たなビルの倒壊や崖くずれが起こり,6人が死亡,50人以上が負傷した.名間では12階建てのビルが完全に倒壊し,通りがかりの車1台が下敷きになった.

 菊地教授は地震波の波形解析からメカニズムを求めた.それによると,メカニズムは東西圧縮の逆断層運動である.推定断層面は東傾斜で,傾斜角は27度である.断層の長さは80km,幅は40km,平均すべり量は2.2mである.破壊は主に北へ進行し,破壊運動は28秒続いた.断層を境に,東側のブロックが西側のブロックの上に乗り上げたとみられる.

 震央付近の地名から今回の地震は「集集(チーチー)大地震」と呼ばれている.南投県竹山から台中県豊原にかけて,縦ずれ成分に富んだ地表地震断層が出現した.長さは80kmに及ぶ.断層の走向はほぼ南北で,東側が西側に対して2〜6mほど隆起した.そこは既知の車籠埔断層にあたる.台中県豊原市の大甲渓では,川底に約5mの段差が生じ滝をつくった.台中市大坑では,3mの上下変位と4mの左横ずれが生じ,断層上の建物を破壊した.台中県霧峰では,垂直変位2〜3mの断層が中学校の陸上競技場を横切った.概して変位量は断層の北側ほど大きい.地震断層の10km東方には平行して既知の雙冬断層があるが,地表のずれは明瞭でない.

 過去の被害地震で死者がもっとも多かったのは,死者3276人を出した1935年新竹・台中地震(Ms7.1)である.今回の地震の規模はこのMをはるかに上回り,内陸地震としては今世紀最大である.

 台湾の東海岸付近では,台湾をのせたユーラシアプレートに,フィリピン海プレートが南東から衝突している.そのため,台湾の内陸部は圧縮の力を常に受けており,そのひずみによって生じた複数の衝上断層が付加体内に発達している.今回の地震では,西寄りの活断層が動いた.

 今回の台湾地震の日本への影響について,政府の地震調査委員会は10月6日の定例委員会で検討し,「西南日本の地震活動に対する影響は極めて小さいと考える.また,今回の地震の発生の前後で沖縄地方の地震活動に顕著な変化は認められていない」と評価した.