EIC 地震学ノート 番外編

東大地震研地震予知情報センター

2000/11/2現在の有珠山の姿
--- 活動を続けている有珠山--


2000年11月2日、我々(菊地・山中)は有珠観測所の西村さんの案内の元、北大の勝俣さんとともに現在の有珠の状況を見てきました。我々は有珠の地震活動が活発化した今年の3月から、地震研内に立ち上がった有珠山緊急時連絡本部、HPの開設、MLの立ち上げなど内側からの支援を行ってきました。
 その後三宅島の活動が活発化し、有珠山安全宣言もありなんとなく我々の印象はもう有珠の今回の活動は終了した感がありました。しかし噴火から半年経った今の状況は我々の想像を絶するものでした。決して有珠の活動は終わっていない、これが今回有珠を見た感想です。確かに観測データを見る限り活動は終息に向かっていることは確かですが、まだまだ元に戻っているわけではありません。 ここに住んでいた、あるいは住んでいる住民の方は本当に大変だな、と思うとともに自然のすごい力を感じました。

(写真はクリックすると拡大します。)

まずは洞爺湖北西のサイロ展望台から洞爺湖温泉街を眺める。遠くに噴煙が3本見える。
洞爺湖温泉街に近いK-B火口
火口から約300mほど離れた近くの公営住宅付近に立つと絶えずK-B火口から噴煙があがるとともに空震を感じる。公営住宅の南側の窓もがたがたという音で揺れ気持ちが悪い。
洞爺湖温泉小学校裏のみずうみ読書の家。泥流の直撃を受けている部分が倒れてしまっている。
国道230号線。わかさいも工場方面に向かう道路。写真中央が大きな水たまりになっている。これは正面の道路が今回の活動で持ち上がったため、地下水が流れず水たまりとなって現れたもの。
国道230号線。隆起により地溝(正断層)が形成され、国道は階段状になった。。道路標識やガードレールが残っていて、今回のすごさを感じる。
上の写真の拡大図。道路標識などは倒れずにちゃんと立っている。
有名な 近くに火口ができて壊れてしまったわかさいもの工場。
その現場はもう想像を絶する光景だった。とてもこの土地が平らで人々が営みを続けていた場所とは思えない。火口のすぐそばにあって火口に消えたアパートの残骸が火口のそばにあった。
また近くの民家は家の一部の土台が数mも高くなってしまったためにこわれてしまっている。本当に自然の力の強さを感じる。
洞爺湖幼稚園。ここは噴石がたくさん降ったところ。大きいものは1mくらいある。幼稚園の壁はこれら噴石が当たって穴だらけ。建物の中も屋根を突き破った噴石が転がっている。
ほぼ活動が収まった火口。現在もなお活動しているのはK-A,K-B,N-B火口の3カ所だけ。ちなみにK=金比羅;N=西山を意味する。