目 次 


菊地正幸先生を悼む(阿部 勝征)

EIC地震学ノートより抜粋(山中 佳子)

GRiD MTによって決定された宮城県北部の地震のメカニズム解(鶴岡 弘)

EIC並列計算機SGI Altix 3700の利用状況(鷹野 澄)

菊地先生の思い出(阿部 勝征・鷹野 澄・山中 佳子・鶴岡 弘・野口 和子)



 菊地正幸先生を悼む
 本センター教授,菊地正幸先生は去る10月18日(土),肺炎によりご逝去されました.享年55歳でした.
 先生は,昭和45年に東京大学理学部地球物理学科を卒業,続いて大学院理学系研究科に進学されました.昭和48年に横浜市立大学文理学部に助手として赴任され,助教授,教授に昇任されました.平成8年に本センター教授に転任されました.
 先生のご研究は,震源過程論を中心とする様々な分野にわたっています.近年では特に「リアルタイム地震学」を研究課題とされていました.それは,時々刻々と集まる観測データを即時(リアルタイム)に分析し,的確な地震情報を発信するとともに,地震の発生や強い揺れのメカニズムを解明することによって,地震災害の軽減に貢献しようとする学際的研究です.その先駆的な研究は国際的に高く評価されています.そのもとになった研究は逐次インバージョンによる地震波形解析法の開発でした.この独創的な方法を用いて,大地震の発生メカニズムを詳細に解析し,地震時に大きく動くアスペリティの存在を通して断層運動の不均質性を解明されていきました.大地震が発生したときには直ちに解析した震源やメカニズムが「EIC地震学ノート」として本センターのホームページに公表されました.それは7年間で140回を数え,研究者ばかりでなく防災機関やマスコミからも注目されてきました.一方,数年前から,関東地方での自治体・研究者間の情報交換を目指した強震計観測のネットワークづくりも精力的に進めておられました.これらをまとめられて本年1月に東大出版会から「リアルタイム地震学」を上梓されました.
 学外の活動も著しく,数々の委員会の委員長や委員を務められ,学識経験者としても地震学の発展と地震防災の推進に大きな貢献を果たされてきました.地震研究所では,本センター長,所長補佐,将来計画委員会委員長などの重責を果たされました.
 卓越した業績に加え,これからさらに大きな成果を生みだして行かれようという矢先のご逝去で,志半ばにして逝かれましたことは,学界においても計り知れぬほどの損失であります.
 ここに先生のご生前のご功績とお人柄を偲び,謹んでご冥福をお祈り申し上げます.

 

★★★ EIC地震学ノートより抜粋 ★★★
EIC地震学ノート No.139 Sep.29,03
◆遠地実体波解析◆

9月26日十勝沖地震(Mj8.0)

概略・特徴

 9月26日午前4時50分(日本時間)に、十勝沖でMj8.0の地震が発生しました。北海道では震度6弱を記録しました。津波も観測されています。けが人も800名以上出ました。
気象庁による速報震源は次の通りです。

発生時刻
震央
深さ
M
03/09/26 04:50(JT)
41.78°N 144.079°E
42 km
8.0

 

解析結果
(走向、傾斜、すべり角) (230, 20, 109)
地震モーメント  Mo=1.0 x 10**21Nm(Mw = 8.0)
破壊継続時間(主破壊) T = 40 s
深さ H = 25 km
断層面積 S = 90 km x 70 km
食い違い Dmax = 5.8 m Dmean = 2.6 m
応力降下 Δσ = 5.0 MPa
解釈その他
 北東−南西走向、北西傾斜面の低角逆断層です。千島海溝から沈み込む太平洋プレート上面で起こったプレート間地震と考えられます。ちょうどここでは1952年にMj=8.2の地震が起こっています。図2は今回の地震のアスペリティと1952年のアスペリティをコンターで示したものです。1952年の地震についてはデータが少ない上、記録が振り切れてしまっているため地震の全体像は波形解析からはわかりませんでしたが、どうも今回は1952年のアスペリティ(の1つという可能性もある)と同じところが動いたようです。
阿部氏によると、国内10カ所の検潮所での津波最大振幅から津波マグニチュードはMt=8.0と求められており,地震の規模とほぼ同じである.「このことから今回は地震の規模に見合った津波が発生したといえる.1952年十勝沖地震による津波の規模はMt=8.2であり,今回のMtよりも大きかった.」ということです。



「EIC地震学ノートはこれからも続きます!」
この地震の翌日シベリアでMs7.3の地震が起こりました。この地震が菊地さんと一緒に解析した最後の地震となりました。これまでEIC地震学ノートは全部でちょうど140号発行されました。私は7年前、菊地さんが地震研に来られたことから地震解析の手ほどきを受け、一緒にEIC地震学ノートを作るようになりました。解析には「菊地さじ加減」というのがあってなかなか菊地さんと同じ結果にならず苦労した時期もありました。最近ではだいぶ慣れ、大きな地震がくると菊地さんがマスコミ相手をしながら私と分業で作業を進めたものです。もっともっと習いたいことがあったのに、もっともっと議論したいことがあったのに。生前「EIC地震学ノートはこれからもちゃんと続けていってよ」と言われました。ちょっと私では頼りないですが、今後も被害のあった地震、興味深い地震について解析を続けていくつもりです。EIC地震学ノートを続けている限り菊地さんは私の中で生き続けるのだと思います。前途多難ですが今後ともよろしくお願い致します。  山中

 

 

GRiD MTによって決定された宮城県北部の地震のメカニズム解
ニュースレター(No. 27)で紹介した「地震波動場のモニタリングによるリアルタイム地震解析システム」ですが,その後モニター領域を拡大(茨城沖,千葉沖,東海沖,三陸沖,十勝沖)し,試験運用を継続しています.また,地震決定法から Grid-based RealtIme Determination of Moment Tensors (GRiD MT) と命名しました.今回は,そのGRiD MTによって決定された7/26からの宮城県北部で発生した一連の地震に対する結果についてご報告します.
GRiD MTでは,7つの地震について地震発生後約3分で,震源位置,震源時間,(モーメント)マグニチュード,メカニズム解を決定しました.
地震リストは以下です.
   1. 26日00時13分(Mj5.5,最大震度6弱)の地震
   2. 26日07時13分(Mj6.2,最大震度6強)の地震
   3. 26日10時22分(Mj4.8,最大震度5弱)の地震
   4. 26日14時53分(Mj3.9,最大震度4)の地震
   5. 26日15時41分(Mj3.9,最大震度4)の地震
   6. 26日16時56分(Mj5.3,最大震度6弱)の地震
   7. 28日04時08分(Mj5.0,最大震度5弱)の地震
これらの地震を気象庁一元化震源の震源位置で図示したものが図1になります.また,F-netによって決定されているメカニズム解(マニュアルで決定)との比較を図2に示します.
 以上に示したように,一連の宮城県北部の地震については,GRiD MTによる完全自動の地震解析システムによって,メカニズム解を含め,非常に精度よく決定されました.また他のモニター領域の試験運用の結果からMw 4程度以上の地震については,領域内に発生した地震について比較的よく決定されるようです.ただし利用している周期(20-50sec)の関係からM7クラス以上の地震についてはより長周期のモニターが必要です.
 GRiD MTは現在ホームページ
(http://wwweic.eri.u-tokyo.ac.jp/GRiD_MT/)
やメールによる情報発信を行っています.興味があればアクセスしてみてください.今後はさらにモニター領域を拡大し,なるべく多くの地震についてリアルタイムで震源パラメータを決定していく予定です.



《図1》

《図2》

 

EIC並列計算機SGI Altix 3700の利用状況
 本年3月に更新したEIC並列計算機SGI Altix 3700の利用状況をお知らせします。新しいシステムは64CPUの並列計算サーバeicp、32CPUの高速計算サーバeich、ならびに、12CPUのフロントエンドサーバeicの3つのシステムからなります。それぞれの稼働率を、次の図に示します。これは導入当初としてはまずまずといえると思います。OSやコンパイラなど利用環境に変更がありましたが、利用者の減少はなく、スムーズな移行がなされたと言えるでしょう。なお9月にはバージョンアップを実施して、更に使いやすくなりました。今後も地震火山の様々な分野でますます活用されるものと期待しております。なお全国共同利用の計算機ですので、お互いに譲り合って上手にご利用されるようお願 いいたします。

 

 菊地先生の思い出 
 先生は,温厚で誠実なお人柄から,教官や学生の信望が厚かったばかりでなく,国内外の関係者からも信頼を一身に受けておられました.報道関係者からも,真摯な取材対応が高く評価されていました.難解な数式の意味を平易に解説するという能力が学生時代から抜群であったことや大地震発生のたびに「リアルタイム」で議論を交わしたことは今となって懐かしい思い出です.世界の研究者からも常に注目され,地震学界の力強いリーダーであった先生を突然失ったことは痛惜の念にたえません. (阿部勝征)
 菊地先生は実に想像力の豊かな方であった。先生の仕事ぶりは単なる地震の解析にとどまらず、地震のイメージを巧みなマンガで表現し、その先にある真理を明らかにする、という手法である。これを支えているのが我々の想像を絶する先生の豊かな想像の世界である。先生の解析は、先生の想像の世界にある真理を客観的に説明するための一つの手段であった。先生が大学院生に地震の解析を指示したときは、そこに何かの真理を予見しているときである。それは解析が済むまで我々の知るところとならない。先生の頭の中にはまだまだこういう未知の真理がたくさんあったのだろう。我々はそれをもう知ることはできない。実に残念である。 (鷹野 澄)
 菊地先生の病気がわかった時、我々は「病気でもこれまで通りに接する」ことを約束しました。お互いに辛いものはありましたが、約束通り最期まで病気の話をすることなくいつも通りの会話をしてきました。最期の最後まで一緒に 研究ができたことは私の一生の宝物です。菊地先生から学んだことは研究面だけでなく人間くささ、人のやさしさ、暖かさだったと思います。自分の人生を振り返ってこれほど楽しかった時はありませんでした。未だにふとただいまと言って帰ってくるような気がします。 菊地先生のことは絶対に忘れることはないで しょう。ありがとうございました、菊地先生!(山中佳子)
 
 私は菊地先生のほぼ1年後に情報センターに着任しました.EICニュースレター創刊1号の挨拶は菊地先生ですし,センター新スタッフ紹介は私でした.菊地先生はスポーツマンでもありました.見た目は細いですが,肩が強くてキャッチボールをするとグラブをはめていた左手が痛くなるほどでした.又バドミントンもお好きで学生さん相手にドロップショットを連発し学生さんが悔しがるのを非常に楽しんでいました.研究面では本報告にもありますが,GRiD MT(はじめはGRiD CMTと呼んでいたのですが,菊地先生のご指摘で変更しました)のシステム改良を菊地先生と進めるはずでした.先生が提唱したリアルタイム地震学を私なりに工夫して発展させていこうと思っています. (鶴岡 弘)
 
 菊地先生と仕事でご一緒したのは古地震記象委員会が発足してからでした.記象紙を整理するために専門家が欲しいと言われて元助手の岩田氏とこの仕事をすることになりました.煤書の記象紙を整理,調査するのは大変でしたが,この記録はこれからの地震学に必要と説かれました.そして思いがけず岩田氏が菊地先生の推薦をえて震災予防調査会賞を受賞されたことは大変嬉しく思いました.報われにくい仕事にも目配りをして励みになるように考えるお人柄を今では偲ぶことしかできません.温泉と自然と研究を心から愛でていらした先生に合掌.(野口和子)