EIC地震学ノート 番外編                
Oct. 20. 03
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菊地先生、安らかに

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2003年10月18日9時16分、菊地先生がお亡くなりになりました。 7年間一緒に研究をさせて頂いた私としては本当に残念で、悔しくて仕方が ありません。まだまだこれからいろいろやろうね、と話をしていた矢先でした。 まだまだお習いすることがいっぱいありました。

大きな地震がくるたびにマスコミの方からの電話を応対しながら手分けして 解析、情報収集、EIC地震学ノートの立ち上げをしたものです。なぜか地震は よく休日に起こり、そういうときは携帯電話で連絡をしながらそれぞれの自宅で パソコンに向かって仕事をしました。今思うととても懐かしいです。

今年は注目すべき地震が多く、本当に大変でした。 これまでの解析ではどうしてもプロの菊地先生がいらっしゃるので最後のつめは 先生にお願いすることが多かったように思います。しかし今年ばかりはそうも 言っていられず、だいぶ先生の指導の元、苦労しました。でもおかげで何か体で つかんだものがあるように思います。

我々が東北地方のアスペリティマップを作ったとき、「きっと今度は十勝沖だよ。 今から十勝沖について調べておいた方がいいよね」と話をしていられました。 9月26日に十勝沖地震が起こった後すぐに「山中さん、ついにM8の再来地震 ですね」というメールをいただきました。この十勝沖の再来地震に先生が立ち会 えたこと、私は本当によかったと思っています。

先生からは「これからもずっとEIC地震学ノートを続けていってよ」と言われました。 まだまだ私では先生のような神業的解析ができるか不安はありますが、先生とお約束 したことですから、今後ともできる限りEIC地震学ノートを続けていこうと思って います。なにぶんにも今後は一人でやっていくのでこれまでのような対応ができるか わかりませんが、先生のリアルタイム地震学に対する思いを絶やさないようにがんばって いこうと思っています。

7年前突然私の上司としてやってこられて本当に夢のように楽しい7年間を過ごさせて いただきました。本当にまじめで頭も良く、それでいてどこか子供をそのまま大きく したような純粋な心を持った先生でした。いつもなにかいたずらをして人が「もう!」 と言って怒るのを喜んでいらっしゃいました。横浜ファンの先生の阪神ファンの私に 対するプロ野球の戦いは本当にすごかったです。シーズン中はいつも夕方になると プロ野球中継が研究室に流れていて、いくら研究の話をしても放送で「ホームラン」と 言う言葉が聞こえてくると議論が中断したものでした。いつも笑顔でさわやかだった 先生がもうそばにいられないと思うとなんだか不思議なそして寂しい感じがします。 解析結果がでたとき、「先生、こんな結果になりましたけどどうでしょうねえ」 なんて相談に行かれないんだと思うとあついものがこみ上げてきます。

YCU地震学ノートからずっと13年間もの菊地先生の思いが詰まったEIC地震学 ノート、きっと先生もあの世からちゃんと続いているかチェックしていられると 思います。先生のご冥福をお祈りするとともに、先生とのお約束を肝に銘じて今後とも 研究活動を続けていきたいと思っています。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

                              山中佳子